死ぬために生きる。

彼は浜辺を歩いていた。連日の長距離散策に若干辟易していたものの、見慣れない海岸の景色が彼を何とか前へと進めていた。
死にそうな顔をした、というかインド人のような顔をした日本人が彼のはるか後ろをよたよたと這い回っていた。そして彼の前にはつねに体をくねくねさせているオランダ人がいつものようにくねくねしながら歩いていた。
ふと昔のことをいろいろ思い出した。
いろんなことが浮かんできたが不思議と良い思い出しか浮かんでこなかった。終始円満というわけではなく嫌なこともあったはずの過去の恋愛はひたすら美しいものとして、辛いことばかりだったはずの留学生活はひたすら充実したものとして。
不思議に思った。なぜ人間は悪い思い出は簡単に忘れ、良い思い出だけ覚えているのか。死ぬためにそうしているのではないかと彼は思った。息を引き取るその瞬間に充実した素晴らしい人生だったと、たとえ彼の生きた人生が大したものではなくても、思えるようにするための仕組みなのではないかと。
もし人が悪いことだけを覚えていて誰もが死を恐れていたなら、それを見た次の世代の人間達も死を恐れるようになるかもしれない。幸せに死ぬということは個人のためというよりも社会全体に影響するものだ。死という到底受け入れがたいことを少しでも受け入れやすくするために、人は幸せに死ななければいけない。そのために良いことだけを覚えていて・・・
そこまで考えて彼は考えすぎだと思った。きっと疲れているのだろう。まあ一日コンスタントに4キロくらい歩いていればそりゃ疲れる。