シアトル

昨日の夜は哲がパソコンでゆうゆう白書を読み出してあまり構ってくれなかったため俺もせっかくシアトルにいるのにひたすらテレビを見るという荒業でしのぎました。
哲のおたくっぷりが終わってからは話した。
大ヒットのネタがあった。これはだいぶ書くか迷うんだけどなあ、どうすっかなあ。やめとこ。
他にもいろいろなことを話した。久しぶりに日本語話した。
そして日本語のすごさに改めて驚いた。自分は英語が話せるようになってきていると思っていたけどそれはあくまで昔の自分の英語力と比べての話。自分の日本語能力と比べてしまうととんでもない差がある。
例えば「お前はもう死んでいる」と言いたいとき、一体英語ではなんと言えばいいのか?
U are already dead.ちょっと違う。俺が言いたいのはそういうことじゃない、けんしろうの思いをねじ曲げたくはない。やっぱ訳せないことっていっぱいあるよね。
もしかしたら全然関係ないのかもしれないけど思ったことをひとつ。子供のほうが英語の習得が早いのは日本語が完成されていないからかもしれない。俺らの歳くらいになって自由に日本語を使えるようになるとその完璧な日本語と比べて英語の不自由さが目に付いてしまう。だからつい日本語に逃げてしまう。
でも小さい子は日本語も完璧ではないから日本語に逃げるということが無い。のかも。
それにしても自分の子を帰国子女にするほうがいいのかそうでないほうがいいのか。これは悩むよね。